先日、X(旧Twitter)である投稿が大きな波紋を広げていました。 (ここに該当のポストを引用:
内容は、小学生のお子さんを持つ親御さんがアップした理科のテストの回答用紙です。驚くべきことに、理科の知識としては正解しているにもかかわらず「文末に句点(。)がない」という理由で減点されていたのです。
この投稿は瞬く間に拡散され、いわゆる「炎上」状態となりました。私自身もこの採点内容には強い疑問を抱きましたが、それ以上に興味深く見守っていたのは、この騒動に対して「教師側」を名乗るアカウントが次々と現れ、議論が泥沼化していった点です。
「直接言え」という教師側の主張
教師側のアカウントの多くは、次のような主張を展開していました。 「不満があるならSNSに投稿するのではなく、直接学校や教師に言ってほしい。SNSへの投稿は教師個人を叩く行為であり、フェアではない」と。
いわゆる「個人攻撃」や「ネットリンチ」への警戒感からくる意見でしょう。しかし、私はこの教師側の主張には強い懐疑心を抱かざるを得ません。むしろ、今回のように親がSNSに投じた一石には、大きな一理があると感じています。
なぜ「直接指摘」では不十分なのか
仮に、保護者が学校へ直接出向き、担任や学年主任、あるいは校長に抗議したとしましょう。運が良ければその場では謝罪され、採点が訂正されるかもしれません。
しかし、それでは「その学校」あるいは「その教師一人」の問題として処理されるだけで終わってしまいます。密室の中での解決は、根本的なルールの改善には繋がりません。
今回のように理科のテストにおいて理科の理解度を測る以外の要素(国語の作法など)を混ぜて評価を下すのは明らかな教育的間違いですが、本来の目的を見失ったこうした指導が一教師や一学校の裁量でできてしまって良いはずがありません。
SNSへの投稿が「公共の利益」を生む
個人が特定されない形でSNSに投稿し、広く世に問うこと。それによって「こうした採点は不適切である」という機運が社会全体に醸成されれば、それは個別のクレームを超えた力になります。
議論が大きくなれば、文部科学省や各教育委員会も無視できなくなり、公式なガイドラインや対策が示されるきっかけにもなり得ます。一人の教師に頭を下げさせるよりも、よっぽど建設的に世の中を改善する一歩になります。
教師の役割とは何か
これは採点した人じゃなくて、Xに絡んできた教師たちに言いたいことなんですが、
昨今、猫も杓子も「個人攻撃は良くない」「SNSに投稿するのはマナー違反だ」と脳死状態で叫ぶ風潮があります。しかし、教育に携わる者であれば、 「将来の子供たちが句点の間違いで理科を嫌いになることをまず防ごう」と考えたほうが良いのではないでしょうか。
モンペだの教師が割に合わないなど感情的な反発に終始せず、この騒動を日本の教育をアップデートする(教員待遇も含めて)契機として捉え直す姿勢を期待したいものです。期待しすぎてごめんだけど。
いや、大変なのはわかってますよ。
