剣道入門者の切実な願いなんですが、稽古で立ち会う先生によって「正しい」とされるやり方が違うの、マジで困るんすよね。
些細な事なら良いのですが、例えば面を打ったときの腕の伸ばし方とかね。ある先生は「腕を張れ」、違う先生は「構えたままで降ろせ(要するに伸ばすな)」・・・。
うちの道場はなぜだかベテランに人気があって、7段の先生が5,6人いるんですよね。で、その先生毎に言うことが違う。
最初は「俺は器用だから先生によってやり方変えるなんて朝飯前だぜ」って思ってたんですけど、まあ、暫くするとシンドイですわね・・・。
それでも、先生同士で背反しなければシンドさもそれほどではないんでしょうけど、ある先生が欠席の時にもう一人の先生が「あの人の言うことは間違ってるから聞いちゃいけない」とか平気で言うんですよね。
で!! 驚いたことに言われた側の先生も同じ状況で同じことを言うう。。。
。。。。。。
これには閉口するのですが、よくよく冷静になって「なぜこういうこと(高段者の先生たちがお互いの指導を否定する)が起こるか」を私なりに冷静に考えてみたのですが、
つまりは、
勝負(試合)において勝ちとされる公平なルールが定まっていないこと
に尽きるんすよね・・・。
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日本剣道連盟における、「有効打突」の定義は下記です。
充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものをいいます。
このうち、「竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し」は、まあいいでしょう。竹刀のどこが、どこに当たったか何てのは客観的に疑いようがないですからね。
問題なのは「充実した気勢」「適正な姿勢」「残心あるもの」の3つです。
これら、一歩間違えば「高邁な偉い先生が判断したので仕方がない」になりかねない基準じゃないですかね・・・・・・・
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どんなに打突部位に適正な位置が打突しても、高邁な先生に「お前の構えは充実していない」と言われれば引き下がるしかないわけでしょう。
そこは「充実とはなにか」という定義を客観的にきちんと示す義務が日本剣道連盟に出てくるのではないかと思ってしまいます。
「適正な姿勢」「残心」に関しては、おっしゃりたいことは分かっています。しかし、現場の審判がそれを判断できるかというと、微妙です。静止画で適正な姿勢を示したとして、それをどれくらい逸脱すればNGなのか、というのはいつまでも議論のもとになると思います。
ちなみに、欧州で流行した剣道に似た(怒らないで)フェンシングというスポーツでは、電気的な反応で触れたか触れていないかを判別します。公平さを排除した結果がそうなのでしょう。それについての賛否両論はあるでしょうが、「これなら文句ないよね?文句あるなら改善点出してみろや」と訴えかけてるように思える点で好感が持てます。
あのね日本剣道連盟さん、世の中「公平」でないと、何事も発展しないんですよ。剣道人口増やしたいなら、公平に納得できる、即ち、「先生によってやり方が180度違う」っていうの止めましょうよ、いやべつに「剣道人口が減っても困らない、俺たちは明治とともに滅ぶんだ」」ということなら、何も申し上げることはございません。
しかしね、若い人、これからの時代を背負う人はまず「公平」でなければ食いついてきません。そこんとこ、老婆心ながら、分かってくれたらなあと思う今日この頃
ていうお話でした。
*1:日本剣道連盟公式サイト